前回まで暗い話が多かったので今回は勢いを取り戻しつつある前日本プロレスについて。

創始者であるジャイアント馬場さんの人柄もあって信用、信頼を大切にする団体であるように思われます。

それは歴代社長を務めることになった三沢さんから現在の秋山選手にいたるまでの遍歴を追っていっても変わらないように思われます。

そのために外国人レスラーたちからの信頼が厚く、これまでも給料や支払いの遅配がなかったことでも有名です。

時代をさかのぼれば不世出のモンスターレスラー、ジャンボ鶴田など、団体の屋台骨を支えるスター選手も多かったように思います。
そこに天竜源一郎選手もいましたし、相撲を引退した輪島も参戦、話題にことかかなかったようにも思います。

やがて三沢選手がタイガーマスクとして全日本プロレスのリングにデビュー、泥臭さと華やかさの混成する不可思議なリング模様を描いていきました。

やがて素顔に戻った三沢選手をはじめとした四天王プロレスで人気を博し、その激闘に次ぐ激闘、さらには外人レスラースタン・ハンセンなどとの名勝負などもあって新日本プロレスを人気面で超えたとも言われた時代がありました。

一時は団体の人気を新日本プロレスと二分していましたが、ジャイアント馬場さんの死亡後に三沢さんの社長就任、一時は馬場さんが居なくても全日本は安泰ともいわれたのですが馬場夫人と三沢選手との確執が噂されやがて二人は袂をわかち、三沢さんはプロレスリング・ノアの設立、全日本を離脱することになります。

それに伴い全日本は未曾有の困窮に追い込まれることになります。

ここまでの時代を振り返って全日本プロレスの主だった特徴としては体の大きな選手を積極的に集めるようにしていました。

また、対戦相手の技を受け、流すようなことは一切しませんでした。
技の応酬こそプロレスの醍醐味ともいったカラーが全日本にはあり、新人はまず受け身の練習からはじめるという徹底した育成を行うことで新人を鍛えてきたそうです。

しかし新日本の華やかさ、アントニオ猪木選手の話題つくりのうまさから徐々に地味な団体というような印象になっていったことは否めないかもしれません。

しかし、新日本プロレス、アントニオ猪木が様々なことに手をだし、負債を抱えて四苦八苦しながらリングの上で戦いを見せていた時も、全日本は決して脇目も振らずただただ自分たちのプロレスを追求し、その姿を、姿勢をお客様に提供し続けてきました。

やがて古臭さは老舗と名をかえ、安心して楽しむことのできるプロレス団体として認知されるようになったのではないでしょうか。

続きます。