ママドール 店長ブログ

タグ:小橋建太

さて、今回はタイツについて。
その中でも今回はロングタイツについて。

さて、今回はタイツについて。

プロレスラーはタイツとリングシューズさえあればどこでも仕事できる、なんて昔は言われてたようですが、最近はそうはいかないでしょうね。

入団したての若手ならいざしらず、選手として多少なりとも名前が売れてお客様を呼べるようになれば見栄えを重視したガウンやリングコスチュームが必要になってくるでしょうし、マスクマンであればそのマスクに併せて様々なリングコスチュームも必要となって来ます。

風来坊よろしくタイツとリングシューズだけで出かけて試合して…ってわけにはいかないですよね。

華やかさが必要になる現代において一レスラーであり続けるのも大変な労力を必要とします。

だからといってどっちがいい、悪いではなく、どっちがその選手らしさであったり、活躍しやすかったりするのか、その方が大事ですからね。

今回はショートタイツとロングタイツとで映える選手を交互に考察してみたいと思います。

と思ったのですが、ロングタイツにパンタロンスタイルも含めると洋の東西を問わず様々な種類が多岐に渡りすぎて収集がつかなくなってしまうような気がします。

ショートだとまずは猪木、馬場の時代から多くの選手が愛用されています。
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ただ流行の関係もあって今なおシンプルないでたちで戦っている選手は希少になりつつあります。
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ショートにデザインが入ったものが採用され、ショートではこちらの方が主流になりつつあります。
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と、このように時代の変化とともに様々にスタイルは変化していっています。

選手たちの技の応酬もいいですが、こういったコスチュームやタイツに注目しながら試合を見るのも一興ではないでしょうか。

明日はロングタイツ編です。

続き)
しかし、それでもノアに立ち、団体を護るべく荒波の中、航海し続ける選手がいます。
彼がいる限りまだまだ希望の灯台は見えるのか、それとも…。

続きます。

プロレスリング・ノアの希望の灯火として立ち続けるふたりの選手、それが丸藤選手と杉浦選手です。
ふたりの立場はまるで違いますが、選手としての実績、戦歴はともに申し分ないかと思います。

しかしお互いがその立場を相容れないものにしたのはなぜか。

ここで後程後述する、鈴木みのる選手が登場するのですが、彼については後日また改めて。

敬愛した三沢光晴さんが亡くなり、これまで築きあげてきたノアという団体をどうするのか、どうなっていくのか。

四天王の残り、秋山選手は他団体へ、小橋、田上両選手は引退への道を模索することになります。
新世代のライバルと目され、人気の看板選手でもあったKENTA選手は新しい軍団を立ち上げ選手のバックアップをもくろみ、半ば成功させたのちに単身海外へと渡ります。

後年同じ団体を目指し、移籍した中邑真輔選手は今やヒールとしての成功を収め、また女子レスラーの華名選手も同団体でスポットライトを浴びる選手になりましたが…この辺も後述しましょう。

とにかく大黒柱を失ったことで団体は弱体化の道をたどらざるを得なくなったわけです。

しかし三沢御大が残してくれた財産を食いつぶすことなく細々とではありますが、ノアが今も何とか団体としての体裁をなしているのはふたりの存在があればこそではないかとも思ってるのです。

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丸藤選手は積極的に外敵として他の団体に参戦していき、方や根本的な存在として団体にあり続ける道を選んだ杉浦選手はノア内において外敵以上に憎まれながらも若手たちの前に立ちはだかり続けます。

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どちらが正しいとか正論とか、そういう話ではありません。
団体のかじ取りが複数以上いるのはあまりよくないことのように言われるのが常識です。

しかしここ最近、以前ほどではないにしても多くの選手を他団体から招へいしたり、これまで参戦していた選手が所属するようになったりと、新しい時代の蠢きが垣間見えるような気がします。

今年の6月13日、三沢さんの命日をふたりはどのような思いで迎えたのでしょうか。

自分にはふたりがノアという団体のために雄々しく立ち続ける仁王のように思われます阿形と吽形の二対をなすふたりがまだまだと立ち続けてくれる限り、その門を叩く人間はいなくなることはないでしょう。

大事なのは二人を超えていく選手の登場です。
マイバッハも潮崎も、ましてや中嶋勝彦も良い選手ではありますが、凄い選手、凄みを感じさせる選手というにはもう一段階上を目指さなくてはならないでしょう。

2018.5.29 後楽園ホール

◯杉浦 貴 vs 丸藤正道×(25分04秒 フロントネックロック)

※杉浦貴が2度目の防衛に成功

この試合を超えていくのは至難のことかもしれませんが、それでも…そう、それでもと、期待をかけずにはいられないのです。

大丈夫、待つのには慣れていますから。

今回は一時代を築いた(ハズ)のプロレスリング・ノアについてです。

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ある時代、それは故人、三沢光晴選手を中心に旗揚げ(2000年)から四天王時代でしょう。
そしてそれは三沢選手の試合中の死亡事故(2009年)で終焉を迎えるまでのわずか9年だったのではないでしょうか。

そしてそれにとどめを刺した(という表現は不本意ですが)のが人気レスラー小橋建太選手のガン発覚してから引退興行までの事案だったように思います。

それから現在まで、様々なトラブルや選手の離脱がありました。
しかしそれでもまだ輝きの全てが失われたワケではないでしょう。

四天王プロレスはノアの設立当初の頃の黄金カードでした。
三沢光晴、小橋健太、秋山準、田上明、各選手同士の戦いは死を覚悟した、まさに死闘でした。

繰り広げる技は歴史を重ねるたびに危険度をまし、逆になぜそこまで耐えられるんだと絶句するような戦いばかり。

それがチャンピオンシップともなれば激戦は必至、チケットは飛ぶように売れ、手に入れるのも困難なプラチナチケットと化したのです。

しかし団体の社長でもあった三沢選手の死亡とともに加速されたはずの団体としての立場はブレーキをかけざるを得なくなり、そこに様々な利害を抱えた人間が入り乱れることで団体としての体をなすことすら困難になっていきました。

若手希望の選手だったKENTAはアメリカに渡り、四天王の香りを今なお纏う秋山選手は古巣全日本にUターン。
森嶋も力皇も早々と引退をしていき、ノアは形骸化してしまいそうになったのです。

しかし、それでもノアに立ち、団体を護るべく荒波の中、航海し続ける選手がいます。
彼がいる限りまだまだ希望の灯台は見えるのか、それとも…。

続きます。

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