今回も女子プロレスについてです。

様々な事件をおこした女子プロレスの中でもっとも最近のもので陰惨なものといえば世Ⅳ虎選手と安川悪斗選手の遺恨マッチでしょうか。

この試合は(というか試合の体をなしていませんが)、そのはじまりから終わりまで一体何をしたかったのか理解に苦しむ試合でした。



安川選手は顔面骨折し、試合終了後には明らかに顔のカタチが変形氏してしまい見る者の背中に悪寒を走らせずにはいられないほどでした。

リングは公開私刑のような様相を呈し、会場には泣き叫ぶファンの声が聞こえ、主催者側は最後の最後まで止めることもせず、レフェリーはいないにも等しい状況で、剣呑な空気に包まれた会場はなにをどうすることも出来ない、後味の悪さだけを残すものと成り果ててしまったのです。

結果、安川選手は眼下底骨折、網膜剥離などにより長期欠場、引退となり、世Ⅳ虎選手も無期限出場停止、一時は引退という羽目に陥ってしまいます。

どっちが正しくてどっちが間違っているか、ではなく、興業としてお客様に魅せる試合を提供するのがプロレス団体の「商品」ではないかと思うとき、その善悪はもはや問題ではなくなってしまったのです。

安川選手にはそれまでの人生での様々な困難から立ち向かい、リング上に立ち続ける限りは応援したいと思っていましたし、世Ⅳ虎選手は若く、スターダムという団体の旗揚げからの辛苦を知る数少ない存在でもあり、これからに期待のかかる存在になるかならないかの大切な時期だと思っていたので彼女の人生を思うととても残念な思いにかられました。

自分はプロレスの試合において、大雑把な意見ですが勝敗はあまり重要視していません。
むしろ負けても必死に立ち向かう姿に自らを重ねて応援し、何度も何度も倒されても、それでも立ち上がる姿に涙交じりの声援を送るのです。

彼らは「闘うからすごい」のではなく、ましてや「勝った」から偉いのでもありません。
相手の技を受け、思いを受け、苦痛に悶絶し時に失神しながらも、それでも強大な敵に、或いは雌雄を決するべきライバルに、立ち向かう姿を魅せてくれるから感動し、賞賛を得ることができるのではないでしょうか。

そういう意味ではこの戦い、会場では誰も勝者たりえず、敗者ですらありえず、何も生み出すことのできない漆黒の闇のようなものではなかったかと思うのです。

果たして両者はその後別々の道をたどることになります。

安川選手は自らの半生を描いた作品が制作、公開されます。


世Ⅳ虎選手は様々な苦悩を抱えながらも再びリングに立つ道を選びます。
どっちが正しいとか正しくないとか、そんなことは今出せる答えと10年後に思うこととでは隔たりがあるでしょう。

ふたりがどうなっていくのかは本人たちにしかわからないことです。
再び本人たちが出会うとしても、二度と出会わなくても、10年後に思いを馳せることにしましょう。